昔から、座敷牢とか幽閉とか
そういう言葉に、
静かな興奮を覚える。
その一番究極な例は、
いばらひめ、だろう。
「眠れる森の美女」というディズニー映画の方が
イメージしやすいかもしれないが、
魔女の呪いが込められた
薔薇の棘にふれてしまったために
100年、荊に覆い尽くされた城に
幽閉されるなんて
耽美すぎて、良い。
触手にも言えるけれど、
蔦や荊のようなツル植物って、
拘束するにはもってこいだと思う。
当然、植物は、ただただ、
太陽へと伸びていくだけで、
何かを巻き込もうとか、
覆い尽くそうとかみたいな悪意も他意も無い。
そういう自然のままに、放置することで
あたかも拘束されたかのような状況になるって
無慈悲で、とても良いなと思う。
現実の数時間では、
決して起きえないし、在りえない。
緊縛というのは、
意図を持って、縄で囲んでいくことだ。
そこには、少なからず
計算や配慮が含まれる。
非情で鬼畜なようでも、
慈悲が込められているはずだ。
その受け手にしかわからない部分に、
引き込まれて行ってくれるのだろう。
自動筆記という状態があるように、
お縄先で縄を運んで、
受け手の身体を余すとこなく絡め取って行けば、
植物のツルが絡まり合うような
無慈悲で自然な拘束が出来るのかなと
野山に行くと考える。
意図を無くそう無くそうとする時点で
既に、作為的になるのだけれど
そんな無作為拘束が出来るようになりたいと
森の中で思い至るあたり
いつでも、何でも、どこでも
SMに結びつけてしまう
私の思考回路。
自然には、逆立ちしても敵わないと
分かっているからこそ、
その域に少しでもたどりつきたいと思うのだろうね。
TAMAKI