生まれたばかりの動物は
最初に見たものを親として記憶する。


そんな話もあるように、
初めて経験したことというのは

その事象に関して絶大な刷り込み効果を持つ。 


また、


「あの店の秘伝のタレは、食通の●●さんのお墨付き」


という口コミや影響のある人物の感想も


まだ実際に食べてもいないのに


「多分、美味しい」という刷り込みになる。


だから、雑誌のグルメ特集や
食レポ番組の直後に

紹介されたお店へ行列を作ったり


食べ物に限らず
SNSで見た画像だけで、

「流行モノ」と言う現象が起きるのである。



SMに限らず、
「刷り込み」は調教や躾、洗脳の基礎だ。


素直に与えられたものを受け入れる素直な人は

言い換えれば、

情報に惑わされて流行モノを追う癖がある。



何を以て、

その情報を「信じる」「正しい」とするかは

人それぞれであるし、


「刷り込み」をする側からすれば

相手に「なぜ?」と思わせない工夫が必要なのだ。



昔から、人を騙して何かを奪うという行為はあるし、

アナログからデジタルメインになった現代は

ボーカロイドのように

デジタルであることが現実と言う存在もあり


真実は常にひとつでは無く、
多面体であると考えた方が良い場合もある。



人間が死ぬときは2回ある、という。


1つは、心臓が脈打つのを止め
呼吸が止まり、肉体的に停止した時。


そして、もう1つが

存在を完全に忘れてしまわれた時である。

つまり、

生きていた事実を信じる人が居なくなった時だ。



モーツアルトや徳川家康に
私たちは有ったことが無くても
そういう人物が昔居たらしいと信じられるのは、


音楽だったり、江戸城や日光東照宮のような
「その人が存在した証拠」が残っているからだ。


だから「刷り込み」には、


肉体による体験と感想

情報による教育


この2つがとても重要だ。


勿論、同じ情報をいろんな人から聞くことでも
「刷り込み」は起きるし、


身体で覚え込ませる、と言うのは
体験による「刷り込み」を違う言葉で言い換えたものだ。


SMも、フェチも、

強烈な「刷り込み」
または、じわじわと積み重なった「刷り込み」


両方が有るからこそ、
より深く昏いところへと
相手の歩みを進めさせられる。


情報が先か、体感が先かは

人それぞれであるし、


どちらがより強く脳を支配するのかも

皆、微妙に違う。



究極の精神的支配は

「刷り込み」による絶対的な崇拝や信仰だ。


人間の歴史を振り返れば、

国や宗教、政治的主導者による「刷り込み」が

正義というものになり、

正義と正義の戦いが戦争としていろんなものを破壊する。



自然界においての正義は、ただ一つ。

全てのものには、終わりが在るということだ。


動物や植物には、必ず個体ごとの生死がある。

岩も何千年、何万年と時間が立てば砂になる。

どんなに高度な文明があっても、

それを裏付ける何かが発見されなければ、
いつかは「なかったこと」にされる。


太陽ですら、寿命が在ると研究されている。


人間は、常に「終わり」へと進化しているのだ。


それ以外のことは、

何を信じ正しいと考えるか次第。


自分の脳に過去「刷り込み」が起きたことが

私を含め、全ての人間にとっての事実を
裏づけ、信じるための材料なのだ。


だから、「刷り込み」こそが

私たちの判断の源と言える。



いろは歌四十七文字で
私なりのSM的な考察を続けてきた最後に


「終わり」に関して触れて締めくくれるなんて

書き始めた当初には予想もしていなかった。


ふとした思い付きで始めたシリーズを

フェティシズムの女王様皆さんをはじめ、

沢山の人に読んでもらい、共感してもらえたことも

毎日書き続けられる原動力になった。


単語を決めてしまえば、

湯水のように指がキーボードを叩き


推敲を繰り返して、更新するうちに


自分が想像以上に、
SMという本能に直結した文化へ
耽溺しているのだなと改めて自覚した。


「い」から始まり、
「す」で締めくくる
この47の言葉遊びのどれかが


誰かにとっての「刷り込み」となり、

SMという優しくも野蛮なコミュニケーションを

より身近に感じてもらえれば、恐悦至極である。


まずは、これで一巡。

最後までお付き合いくださり、
ありがとうございます。



TAMAKI