全ての情報は、誘惑の発芽剤である。


たとえば、

コンビニでついつい
新商品という文字に踊らされて
本来の目的じゃない物を買ってしまったり、


「最近、●●って流行ってるよね」

と聞けば、興味をそそられて
話のネタにとばかりに、
流行りものに飛びついてみたり、


TVやインターネットでも
何の気なしに見た広告で
欲しいものや行きたい場所が増えたり、


無意識に誘惑されている人は多いと思う。



誘惑は、罪の入り口。


これが、キリスト教や
ギリシャ神話での大前提である。
 

往々にして、
唯一絶対の一神教では


罪と言う恐れを持って、
信仰心を強く持たせようとするケースが多いが



これは、


快楽=悪


という刷り込みでもある。



一番の例が、

旧約聖書の「蛇の誘惑」である。


これによって、
世の女性は2千年近くも



「女はズルくて、男をダマす生き物」



という不名誉なレッテルを
宗教の聖典の中で貼られてしまった。



誘惑は、

誘う、惑わすという言葉の組み合わせだ。



そして、


意外とこの言葉は
私たちの日常に馴染んでいる。



「甘いお菓子の誘惑に負けそう」

「布団の温もりに誘惑されて寝過ごした」



ちょっとした言い訳にも使われるし、


ハニートラップ

と言う言葉が在るように


肉欲を刺激するような発言や行動で
相手を思い通りに動かそうとする場合にも

そして、性欲の正当化にも


「つい、誘惑されてしまった」


と使われる。


非常に活用範囲が広い言葉だ。



誘惑に負ける。



この言葉に、
心を動かされる人は多いだろう。



この場合の「負ける」には
悔しさよりも、自己正当化の意味を
多く含ませて使う人が多い。


言い訳をすることで、


「不本意でした」

「そんなつもりは無かった」

「仕方なく」


という


「本当はyesだけど、素直に認めたくない」

感情を満たしてくれるからだ。


ダイエットはしたい。
でも、甘いものは食べたい。


この相反する欲を、


「お菓子が誘惑するから」


と責任転嫁したいのだ。



しかし、よく考えてみて欲しい。



チョコレートそのもの、
お菓子そのものには、



「こいつを太らせてやろう」



という悪意は1mmたりとも無い。


もっと言えば、


世のチョコレート職人も、
お菓子メーカーも、


「人類を太らせるため」に
お菓子を作り、販売してるわけではない。



「美味しいもので皆を幸せにしたい」


という奉仕の思いから始まっているはずだ。



誘惑という行為は、
相手が意図しなくても
結果そうなってしまうという場合が多い。




勿論、峰不二子が
ルパン三世にしなだれかかるように

自分の目的のために相手を誘惑する場合もある。



聖書に書かれている
「蛇の誘惑」も「荒野の誘惑」も
ある意味、信仰心を煽る為のたとえ話だけれど、



人間の五感、
味や匂い、温もりなどを誘惑するのは


「こいつを魔の道へ貶してやろう」


という悪意も害意もない
食べ物や布団などの無機物の場合が多いし、



そしてそれらは


「気持ち良い」「幸せ」


という体感記憶に結びついてるから

より、タチが悪いのだ。


抗えず陥落するのが、
お決まりになってしまう。




生身の相手からの明らかな誘惑は

理性を前面に出そうとすれば、
なんとか出しやすい。



「無理です」「ダメです」「止めときます」



例えそれが、建前だったとしても
誘惑から一時的に逃れて、
理性で解決しようと出来るからだ。


しかし、


空腹時に、食べ物の匂いを嗅いで

食欲を誘惑されてしまっても、

自分の欲と理性との一騎打ちなので

割とあっけなく降参してしまう場合がほとんどだ。



勿論、誘惑などに屈せず、

本能的な欲を理性でコントロール出来る人も

世の中には、少なからずいる。




どちらも間違いではない。

その人が選んだ結果だからだ。



ただ、一つ言えるのは



マゾは誘惑に弱い。



そして、場の主導権を握れる人は


自覚、無自覚問わず
相手を唆す誘惑手段をたくさん持っている。





個人的には、

荒野で悪魔からの誘惑を退けた
イエスキリストのように


セルフコントロールで
鋼の理性へと訓練された人物が


どういう欲を誘惑されたら、陥落するのか。


とても興味があるし、
実験してみたいと思う。


責め手側として、
非常に面白いからだ。


とはいえ、



先程書いたように、

無自覚の誘惑ほど破壊力が大きいのであれば

意図的な誘惑では
なかなかに手ごわいだろう。

相手も想定の範囲内のことだからだ。




欲が人間を生かしているから、
世の中は進化する。



心と言う見えないものへの執着じみた探求は、

SMの本質そのものへの
探究でもあるのかもしれない。



TAMAKI