日常会話には
あまり使わないが

難解な漢字を使う熟語や単語は

非日常の出来事を表現する時ほど、
本来の意味を発揮する。


びっくりする、よりも
驚愕する、とか


ショックを受ける、よりも
愕然とする、とか


泣き叫ぶ、よりも
慟哭、とか



勿論、読み手側が
言葉の意味や漢字の読み方を知らなければ


せっかくそのものズバリの表現だと感じて、
書き手が敢えて難読熟語を使ったところで、
チンプンカンプンな文章としか見られないのだけど

漢字と言うのは、

もともと象形文字、

つまり、何かの形から成り立っているので

読めたり意味を知らなくても、
前後の言葉から、


なんとなくこういうこと?と
伝わるので、本当に素晴らしい文字だと思う。


人間とは可笑しな生き物で、

他人と違う事を望みながらも、
同じでありたいと願う矛盾したところが在る。


その一つが、


平等という言葉だ。


男女平等と謳っても、
肉体的な特性は、決して平等にはならないし、

個人で比べれば、
それぞれに得意不得意は違う。

1つのものを平等に分けようとしても、

完璧な真っ二つにすることは
厳密にいうと無理なのだ。



貴賤という言葉も



とうとい
いやしい



反対の意味を持つ
二つの言葉を組み合わせた熟語だが、



何を貴い、素晴らしいものとして

何を賤しい、下品でくだらないものとするかは



その人が生まれ育った環境や
経験してきた中での価値基準による。



もともと貴賤は、
身分の高低を表す言葉として
使われることが多いけれど、


今の現代日本において
身分についてとやかく気にするのは

数百年の歴史をお持ちな
やんごとない筋の人たちと
SMでの主人と奴隷くらいである。


そして、


自らを貴賤という物差しで測った時に
賤しい、身分の低いものだと遜って
虐げられることを悦んでいるのも


被虐嗜好と奴隷願望を持ち合わせたマゾだけである。


貴賤という言葉の出どころは、
先程の平等という感覚からだ。


身分の高い低いを気にするのは、

そこに何らかの区別化、
または差別化をしたいからだ。


映画やドラマでもお決まりの設定だが

身分が高くても、
品性が残念な場合もあるし、

貧しくても、
心が清く美しい場合もある。


勿論、

心身共に豊かで非の打ち所のない場合も、
逆の場合もある。


男女の肉体に
生物学上、違いが有るように、


人間は厳密にはお互いに不平等なのだ。


唯一、人類すべてに平等なのは
生まれて死ぬ、という定めだけ。


あとは、


全て他者との比較対象の中で
自分が善悪、貴賤、苦楽を決めているだけなのだ。


だからこそ、
SMでの奴隷や家畜という存在が
ある特定の人間にしてみると
ことさらに際立って感じられるのだ。




何を貴い、素晴らしいものとして

何を賤しい、下品でくだらないものとするか。



その問いかけの繰り返しが
人生での終わらない学びだ。


そして、

いろんな物差しが在ると知り、
常に目盛を精査することを
怠ってはならないなと思う。



活字フェチで愛好者の私からすると

日本語で文章を書くと言う事は、

布を織るときに、
何色の糸を組み合わせたら
より美しいかと考える楽しみと似ている。


こうして、
言葉をいじくり弄ぶシリーズも
とうとう佳境だ。


名残惜しさもあるし、
後から書き綴りたくなる言葉も出てくる。


いろは47文字の言葉遊び。


ほんの思い付きから始めたけれど、
自分の性的嗜好や性癖を返り見る
今の私にしか書けない文章になっている。


あと10文字、
引き続き書き綴っていく。


TAMAKI